トリヲトリ


普通に鳥のアップを撮りたかったのだけど、マルチパターン測光だったので、周囲の明るさに引き摺られ、肝心の鳥がシルエットになってしまった、という失敗例。シルエットになってかえってよかったような気がしないでもないけど。

明確に撮りたい対象があるわけではなく、少し大げさに言うならば、その場の衝動だけでシャッターを切っているので、付け焼刃的に仕入れた知識もその場では役に立たず、「ああ、ここはもっと絞った方がよかったんだろうか」とか「白とびが多いから露出補正しといた方がよかったのか」などと後になってから思うことが多いです。

ただ完成された写真(未プリントのデジタル写真の何をもって完成とするのかはよくわからんのですが)をもって誰かに何かを伝えたいとか、自己表現したいとか思っているわけではなくて、何か予感めいたものに惹かれ、カメラを構え、ファインダーを覗き、シャッターを押す寸前の、「ああ、コレ!」という情動が楽しくて写真を撮っていて、ここでも他人に見てもらうために公開している、というより、自分がどういったものに興味を持ち、どういったものなら他人に見てもらっても構わないと判断するのか、という一種の自己分析めいた流れの中で公開しているので、撮れた写真の良し悪しは写真を撮る楽しみそのものを損ねることはないのです。

とはいうものの、写真を撮る「僕」とは別に、写真を見られる「僕」がまた別にいたりしまして、写真を公開するからには、もっと上手く撮れるようになりたい、という気持ちもあったりするから我がことながら複雑怪奇。シャッターを押す寸前の衝動的な快楽を減ずることなく、上手い写真を撮れるようになるためには、テクニカルなことを意識して写真を撮る練習をしなければなるまいなぁ、なんてことも思うわけで、ホンマ、奥が深いです。